漸く梅雨が明けて連日猛暑が続いている。
女川町は年間を通しての気温の上下の差が少なく、夏涼しく冬暖かく大変住みやすい土地であることは周知の事実だが、ここ2,3日は30度をはるかに超えておりさすがに老体(?)には応える。
2歳と7歳の孫は連日午前と午後、庭に設置した簡易プールに入って大はしゃぎ。
爺はプールの脇でさながら監視員の役割だが、これが猛暑の中、結構キツイ仕事で汗だくになりながら水温の調整やら安全性の確保に努めている。
一昨日、私は女川湾戦没者を慰霊する会に出席したというより会を主催したというのが正確だろうか。
本町の崎山公園の下方に建立されている慰霊碑は重く長い歴史を背負った慰霊碑なのです。
今から68年前の昭和20年8月9日、アメリカを中心とした連合国軍は防備隊が組織され東北でも有数の軍港である女川湾を集中爆撃した。当時女川湾には海防艦天草や戦艦大浜等数隻が対空砲火で応戦したが、制空権を失っていたわが軍は劣勢を余儀なくされ天草、大浜等が撃沈され100数十人の犠牲者を出したのです。
女川町史等によれば、その戦いは過酷をきわめ、連合国側の爆撃機は艦船から脱出し泳いで逃げる乗艦員にも狙い撃ちし一面は血の海と化したと伝えられている。
終戦から21年後の昭和41年、本町の先人である神田洋品店主の神田義男さんは私財を投じながら浄財を募り崎山公園下に女川湾戦没者慰霊碑を建立され、海友親和会が中心となって管理運営されていたようです。
以来30年ほどに亘って全国から集まった艦船の犠牲者のご遺族、乗艦員、防備隊の関係者等により毎年8月10日に盛大に慰霊祭が行われてきた。
しかし年年歳歳、年月の経過と関係者の高齢化と共に戦争の風化が重なり昨今はほんの一部の人々の好意、活動により細々と慰霊祭は継続されてきたのです。
ここ十数年は立正佼成会石巻教会と協会女川支部の方々が犠牲となられた英霊が安らかに眠られるようにと又、先人の方々の崇高な理念を継承するために献身的に活動し慰霊祭は何とか継続されてきたのです。
昨年、各方面から、このままでは慰霊碑あるいは慰霊祭の今後が懸念されるので誰かが中心となって慰霊碑建立の原点に返って考え行動しなければならないという声が上がり推されて私が代表者となって
”女川湾戦没者を慰霊する会”を立ち上げたところです。
先の戦争で女川湾で亡くなられた方々の御霊を慰めることを第一にしながら、慰霊碑も慰霊祭も誰もが気軽にお参りできるようになることを最優先してこれからの事を考えていきたいと思う。
今回慰霊する会を立ち上げるにあたって、立正佼成会石巻教会、役場互助会、女川戦没者遺族会、町民有志の方々には大変お世話になった。
私事ながら、私も母を満州からの引き上げ時に亡くしたという現実の中で戦争のむごさ、無益さ、平和の尊さ大切さは強く認識しているところです。
これからも地球上から戦争を無くしていくためにも”女川湾戦没者慰霊碑”建設の原点に返りながら関係各位の方々と知恵を出し合いながら”女川湾戦没者を慰霊する会”を運営していく所存です。
一昨日の慰霊祭に参列された海防艦天草の生き残りであり色麻町現職議会議員のT氏と女川遺族会会長のA氏の当時の戦争の話は体験者ならではの迫力とリアル感満点であり素晴らしかった。
戦争も大震災も現在に生きる私どもの務めとしてその現実の姿等を後世の方々にしっかりと継承しなければならないことを再認識したところです。
皆さま、いろいろありがとうございました。今後とも宜しくお願い致します。

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