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あの時から早4年の歳月が流れた。
私達の間では”あの時”と言うのは誰でもが例外なく3,11東日本大震災のことを指す。
今でも旭が丘の山を眺めながら何故私はここに住んでいるのだろうか。
永年、海を眺めながら生業を続けてきた自分がどうして、今、山のふもとに住んでいるのかと自問自答することがある。
ある日突然大地震が起きて大津波が発生し、多くの善良な住民の尊い命を奪い、家を壊し店や工場を押し流すことがあって良いのだろうか。
年月を過ぎてから感じることは、大津波は形あるものを押し流しただけでなく、私達が営々と築き上げてきた地域のコミュニティーをも木端微塵に破壊したのだとつくづく思う。
大津波は愛する家族の命を奪っただけではなく、数々の想いでさえ容赦なく破壊したのです。
ふと気が付いてみると私には大津波前の家族や若いころの写真が一枚もないのです。
神様は何故このような理不尽な事を東北の片田舎の私達に突然押し付けてきたのだろうか。
願い事が一つだけ叶うなら時計の針をあの日あの時まで戻すことはできないものかと愚痴を言いたくなる。

あれから4年の歳月が流れ、わが女川町は3月21日待望のJR女川駅が開通し温泉施設ゆぽっぽがオープンし”町びらき”を迎える。
10日程前のテレビは多くの局が東日本大震災4年の特集を組んでいた。
土曜日の辛抱さん、日曜朝の関口さんのサンデーモーニング、夜の番記者のテレビは一口に言って”復興のトップランナー”女川の大特集”と言っても過言ではなかった。
東日本大震災の多くの被災地の中で最も壊滅的被害を受けた小さな町の復旧から復興に向けての軌跡を詳細に報道したものである。
全ての番組が復興のモデル、トップランナーとして好意的に報道してもらってるが、当事者と言うか中にいるものとしてはいささか面映ゆい気がする。
街中の土地区画整理事業や防災集団移転事業が進められているが、周りの評価とは違って待ち続ける被災者にとっては遅々として進まない現実の中で焦燥感がっ募っている。
高台にあった小、中学校や墓地などは周辺の盛土によって然程高さが感じられなくなってきた。
ウミネコが羽を広げた姿をイメージした駅舎と合築の温泉施設”ゆぽっぽ”は復興女川の象徴であり先駆的建物である。
正式オープン前に建築中の施設等を見学したが、今まで霧の中にあった再生女川の中心部が現実感を帯びてきて大変力強いものを感じた。
仙台と東京の友人から電話を戴いた。「女川、凄いじゃないか、俺やっぱり女川に帰ることにした」等々。
マスコミ報道は多分に近視眼的に捉えた面もあるが、女川に関心を持つ多くの人々に大きな夢と自信を与えたことは
確かであり有難いものだった。
犠牲率一番、人口減少率一番、原発を持つ町、注目度ナンバー1の町女川は決して浮かれることなくまして卑屈になることなく、復興事業費は国民の血税であることを認識しながら前を向いて進みましょう。
古希同級会で”俺は女川のニュースが流れると夢中で聞くんだ”と言った東京在住の友の為にも
素晴らしい古里女川を造り上げよう。
全国の皆さん是非女川に来てください。
大震災の様子、復興の様子をガイドします。勿論無料で!




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