2015.05.03 憲法記念日
今日は絶好の五月晴れ、憲法記念日である。
戦後70年、現憲法が施行されて68年の歳月が流れた。
「より一層の国際貢献の為に」「押し付けられたものだから自主憲法を」等の理由で安倍総理大臣は遮二無二、憲法改正を目指し、集団的自衛権の閣議決定をしアメリカ議会で安全保障法の整備を明言してきた。
時代に合った自主憲法が必要ではないかとの主張は一部賛同するが、昨今の安倍さんの姿勢や社会風潮にはいささか疑問ときな臭い匂いを感じざるを得ない。

以下の文章は私が6年半前、朝日新聞に投書し、声の欄で掲載されたものです。

母は62年前、旧満州(現中国東北部)からの帰還中、引き揚げ港を目前にして30歳の若さで病で他界した。
父は1歳の私を背に、3歳の次兄を胸に、5歳の長兄の手を握って危険を乗り越え帰国した。
年齢を重ねるにつれ母が一人で眠る大地への思いが募り、夫婦で先月末、中国への1週間の弔い旅行をした。
瀋陽でみる地平線に沈む大陸の夕日は大きく真っ赤に輝いていた。
62年前、家族は同じ太陽をどんな思いで見たのだろうか。
引き揚げ港である葫蘆島には「日本人105万人引き揚げ」の石碑があったが、岸壁だった場所は造成中で、地元の人も気づかない程ひっそりとしていた。
海岸に行き、花束と線香を手向け62年間のごぶさたをわびた。
幼子3人を遺して旅立つ母の無念さはいかばかりか、大海原を眺めながら父は何を思ったのか。
今、同じ3人の子と2人の孫を持つ身として胸が締め付けられ、涙が止まらなかった。
当時の父母の苦難、苦悩は計り知れないが長年の胸のつかえがとれたような気がした思い出深い旅行だった。
                              平成20年10月27日   ( 宮城県女川町 無職 木村 征郎 63)

母も私の家族も戦争の犠牲者であろう。日本国憲法は先の戦争の反省の上に作られたものであり、押し付けられたものであろうと国民総意の平和憲法である。
平和憲法の理念のもと戦後70年我が国は戦争により一人の外人も殺すことなく一人の犠牲者も出さなかったことに大きな誇りを持つべきと考える。
戦争は名目上、防衛のための戦争でも正義の戦争でも結局は殺し合いであり、戦争に勝つということはより多くの人を殺すことである。
そして戦争による憎しみの連鎖は100年を超えて続くのである。
憲法改正論者は戦後の民主教育を自虐史観と言うが、誇るべき平和憲法の負の面だけを強調する姿勢こそ自虐史観ではないかと考える。
憲法は不磨の大典ではないが、改正には多くの時間をかけて国民的議論を重ねたうえでの改正でありたいと切に願う。
平和ほど尊いものはないし、戦争は正義も人権も理性も良識も無にし、人々を狂人にするのである。


スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://sunparksan.blog123.fc2.com/tb.php/140-a512f3f7