今日は台風11号の影響か、朝から雨模様。
宮城県の高校野球県予選も佳境に入り、母校のI高校がベスト8入りをかけてH学園と戦う予定だったが雨で中止。
朝9時からの決戦に備えて友人と応援準備を整えていただけに、出鼻をくじかれた感だが致し方ない。
高校野球は宮城県あるいは東北地方から甲子園での優勝校を出すことが悲願であるが、出来れば県予選でも私立強豪の育英高校、東北高校以外の公立学校の全国大会出場を望んでいるが、なかなか思うに任せない。
しかし、ここ2,3年仙台市以外の地方の公立校の台頭が顕著で、わが母校も今年は第4シードに置かれており、60数年ぶり2回目の甲子園出場を狙っている。
出場すれば万難を排して甲子園に行くつもりである。

集団的自衛権の行使容認を主とした安保関連法案が衆議院の委員会で強行可決された。
大半の憲法学者と歴代の法制局長官が明らかに違憲だという法案は、国会で論戦を重ねるたびに国民の不安が広がっているように感じる。
安倍総理大臣も”国民の理解が深まっていない”と認めているが、今後の論戦の中で理解を深めて行くという。
平和国家の国是を根本から変えるような大転換は、堂々と憲法改正の手続きを踏むべきであるが、内閣の解釈の変更と言う手段で押し通そうとするところに無理があると考える。
安倍さんも好んで戦争を起こそうとしているのではなく、我が国の恒久の平和を構築するために如何になすべきかの思案の末の決断であると思慮する。
しかし平和を構築するための手段が日米同盟の強化、集団的自衛権の行使と言うのはいささか狭義であり国民を危険に晒す面もあるやに思う。
集団的自衛権を行使する際の”存立危機事態”の定義があいまいであり、時の政権の裁量にゆだねられるのは危険すぎる。
今から90年前、1925年3月、治安維持法が成立したが時の政府は”治安維持法は伝家の宝刀であり抜くことはほぼない”
”法案を拡大解釈して社会運動を取り締まることはない”と国会で答弁している。
しかし、この法律がその後のあの戦争遂行に果たした役割は余りにも大きいのである。
自民党の中にもいわゆるリベラル派と呼ばれる人たちがいるのだが、この間全く存在感を感じさせないのはどうしてだろうか。
結党の理念から平和の党、福祉、大衆の党と言われていた公明党は自民党を諌めるどころか、法案成立の支えになり、後押ししている状況を奇異に感じるのは私だけだろうか。
今回の安保法案のような我が国の平和憲法の根幹にかかわるような大転換の折には、自民も民主も公明も維新もなく、国民から選ばれた議員が党議拘束から離れて自らの信念と良心に従った意思表示をできないだろうか。
小選挙区制度が定着してから、執行部の権限が格段に強まり、公認されない議員は当選できない等の現実の中で自分の意見を自由に発言できない実態である。
自由民主党は右から左、保守からリベラル等自由闊達な意見を集約しながら戦後の日本の発展を担ってきたが、今や懐は浅くその時のリーダーの考えの赴くままに追随する政党になったような感じがする。
憲法は不磨の大典ではない、世界の環境の変化に対応した改正はあってしかるべきだが、今回の強行は余りにも性急すぎるやに思う。
戦後70年、もう一度原点に返って戦後の平和憲法の果たした役割、日米安保条約の果たした功罪、沖縄の基地の在り方、戦後の経済社会の発展等を国民全体で考えるべき時期にあるのではないかとあらためて思う。
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