待ちわびていた桜もあっという間に散りはじめ、緑深い山々を見れば、ところどころが笑っているように感じる。
春爛漫、一年中で一番心が弾む、人生で言えば20代だろうか。
櫻と言う字は”二貝の女が木にかかる”季節であると誰かが言っていたが、社会が動き何となくウキウキする節なのだろう。

先日、家内と2人で鳥取県の伯耆町(ほうきちょう)に行ってきた。
女川町で運営されていた障害者支援事業所が5年前の大震災で壊滅し、縁があって山陰の伯耆町で再開したのでその見学に行ってきたのです。
私はその事業所の理事長Aさんとは40年来の友人で、7年ほど前”波乱万丈の人生の最後に念願していた福祉事業をしたい”というAさんの理念に共鳴し、私も少しばかりの応援をしてきたのです。
何故、鳥取県伯耆町かというと、津波で壊滅した支援事業所の施設長が伯耆町の出身者で、大震災の折、鳥取県や伯耆町の被災地企業の支援制度で伯耆町で事業を再建したものです。
本町から2000キロ程離れている山陰の、本来なれば無縁に近い当地に”きらら女川”の大きい看板がそびえたっているのを見た瞬間、感動で胸が熱くなった。
障害には精神、知的、身体の三種があるが、当事業所は三種の障害者35人ほどが10数人の健常者職員と共に元気に働いていた。
パン工場とかりんとう工場があり、車いすで作業している年配の方もいた。
朝礼時に訪問したら、”今日一日元気に働きます。安全と衛生に配慮しながらみんなと協力しながら働きます”と日替わりの当番者が元気にあいさつをしていた。
障害者の方々が、みんな明るく生き生きと働いている姿が印象的で、一見しては障害者の作業所と分からないくらいだ。
”パン作りは難しい、でも美味しいからいっぱい売れていますよ”と聞かないのに笑顔で話しかけてきた。
人口12,000程の小さな町に障害者と職員合わせて50人程の生活の場、生きがいの場となっている。
伯耆町の町長と議長が”当初は被災地の企業支援でスタートしたが、今はきらら女川さんに助けられています”と率直な弁。
伯耆町での再建の後、2年後に女川町でも事業所を高台地に再開したが、A理事長は伯耆町が忙しくて当分は女川に戻ってこられそうにないようだ。
それにしてもAさん、御年70数才だが老いて(失礼)益々お元気である。
もともとパン作りの名人でアイデアマンであるが、秘伝の極意で作るかりんとうがまた美味しいのです。
リンご、かぼちゃ、ワカメ、さんま等々各地の名産をベースにしたかりんとう50種類ほどを製造して大好評のようだ。
おまけに特許である酵母を活用しての水産物等の新鮮保存でも実績を上げているからすばらしい。
大震災で自宅、店舗、工場等すべてを壊滅してから、それも60代後半からの新分野での事業展開で成功しているのであるから称賛に値する。
私が訪問中にも鳥取県や伯耆町、隣の松江市の職員が訪れて、それぞれの自治体の産業おこしに引っ張りだこの様子である。
当地の福祉事業の功労者であると同時に地域おこしの盟主としての地位を確保していると受け止めた。
夜には併設する居酒屋で、マスコミ関係者も同席しての会食があり、酵素を活用したカキ、ホヤ、ワカメも試食しながら大いに話に花が咲いたところである。
大震災から5年が経過し、中国地方山陰の地で大変な苦労と努力を重ねながら障害者支援事業所を再建し、地域の振興に寄与しているわが町のAさんの今後のご活躍をお祈りしたいと思います。

鳥取からの帰途に東京に寄り、孫の高校の入学祝いもすることが出来た。
久しぶりに見る高校1年生の孫はちょっと大人びた感じであり、はにかみながらもじいじとばあばを歓迎してくれた。
色々な事を経験しながら素直に真っ直ぐに成長してもらいたいものである。

100年前の祖母の土地売買の事で30年ほど音信がなかった従兄弟と電話で話することが出来た。
長いブランクは大きいがそこは血肉を分けた肉親であり、打ち解けるに然程の支障は感じなかった。
今回の件は兄弟、従兄弟仲良くしなさいと言う天国の祖父母からのメッセージであると受け止めながら、今後は自然で無理のないお付き合いをしたいものだと思います。
皆さま、季節の変わり目です。くれぐれもお体をご自愛ください。


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