当地は梅雨明け宣言が8月に入ってからだが、皮肉なことに宣言されてから、台風の影響もあって雨や曇り空が続いている。
昨日の東京の最高気温が37度なのに当地は27度前後だから10度の違いである。
日本列島の殆どの地域でうだる様な暑さでもがいている中で、当地だけ何か申し訳ない様な気がする。
昨日も東京だけで熱中症の疑いで救急搬送された方が、百数十人いると聞いて、東京の暑さと人の多さにあらためて驚くばかりだ。

昨日、8月9日に予定していた女川湾戦没者慰霊祭が中止のやむなきに至った。
この慰霊祭はは今から72年前、太平洋戦争の終戦直前の昭和20年8月9日、10日の両日、米英軍を中心とした連合国側が、女川湾に停泊していた多くの我が国艦船に猛爆撃を加え、その結果200数十人の犠牲者がで、その御霊を弔うための慰霊祭です。
終戦から21年後の昭和41年、女川町の神田義男さん達が中心となって私財を出し合い、建立されたのが崎山公園下にある「女川湾戦没者慰霊碑」です。
当時は海防艦天草等の乗艦員や犠牲者の遺族、関係者等が全国から大勢集まり、盛大且つ厳粛に慰霊祭が開催されたのですが、
以来50年の歳月が流れ、犠牲者の遺族や乗艦員、関係者の多くが高齢や故人となられました。
ここ10年程、出席者が少なくなりながらも立正佼成会のの方々の献身的支援もあり、東日本大震災前までは慰霊祭は細々とではあるが続けられてきました。
6年前の大震災で神田さんの後継者も亡くなり、慰霊祭も中断される中で、誰かが先人の方々の崇高な志を継続すべきではないかと言うことで、私達の方にお役が回ってきた次第なのです。
今年の慰霊祭の中止は大変残念であり申し訳ないのですが、台風の影響で慰霊碑周辺の安全性の問題があり、尚且つ出席予定だった72年前の乗艦員お二人から、安全面と体調の関係で出席がかなわない通知が来たこともあり中止のやむなきに至りました。
今、私達は平和な時代に生きていますが、この平和は先人の方々の尊い犠牲の上にあると言うことを噛みしめたいと思います。
そして現在に生きる私達は72年前、女川湾であった悲惨な史実を後世にしっかりと伝え、平和の尊さを訴え続けることが大事な使命であると確信します。

昨日は長崎に原子爆弾が投下されてから72年目でした。
長崎市の平和式典の後で被爆者団体の代表者は安倍首相に「貴方はどこの国総理ですか、私達を見捨てるのか」と迫った。
被爆者といえども一国の総理に直接言う言葉としては極めて礼を欠く不穏当な言葉とも感じた。
しかしその代表者は世界で唯一の被爆国の日本が核禁止条約に参加すらしない首相の姿勢に憤り、礼を欠くことを重々承知で抗議したのでしょう。
私も唯一の被爆国の日本はアメリカの核の傘に居る現実であっても、核兵器の問題では核廃絶に向けた積極姿勢を貫くことが必要であり、それが原爆投下で地獄の苦しみを強いられた被爆者に報いる唯一のみちであろうと考える。
北朝鮮や中国の脅威があるから、核は抑止力として必要悪であるとの論理だが、唯一の被爆国としての独自の思考回路があるべきではないかと考える。
超大国アメリカの大統領、お隣り北朝鮮の将軍様が勇ましい核の威嚇競争をする中で、我が国しかできない大事な役割を果たすことが基本命題であると考える。
そのためには核禁止条約の話し合いの場に参加することから始まるのです。

先日、本年9月開催のねんりんピック秋田大会グラウンドゴルフ用の宮城県選手団ユニフォーム等が届いた。
たまたま、本当にたまたま宮城県予選で準優勝した為に巡ってきたチャンスだが公式に認められた全国大会なので、9月議会に多少の影響もあるが、参加することにした。
皇室の方も来賓で来られるような公の大会に参加するのは一生に一度なので経験、技術とも劣ると自覚しているが、県代表として精一杯頑張り楽しもうと思う。
甲子園の夏の高校野球が開幕し、東北地方のチームは岩手と福島が1回戦を突破し山形が惜敗した。
高校野球も過ってのような地域間格差は無くなったが、春夏とも白河の関を超えて東北地方には優勝旗は来ていない。
私も生きている間に春でも夏でも優勝旗の白河越えを見たいものだ。
皆さんもうすぐお盆です。 今生きているのはご先祖様が有ればの事です。
しっかりとお墓まいりをしてご先祖様を大事にしながら、この夏を元気に乗り越えましょう。
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