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2013.04.28 復興あれこれ
4月20日、大震災から2年1ケ月の歳月が経過し福祉事業の復興への具体的な足音が聞こえてきた。
それは東日本大震災で壊滅した障碍者の為の民間作業所が女川町内で上棟式を行い、復活への第一歩を記したのです。
この福祉作業所は2年前の大震災の数ケ月前に開所し、10人ほどの障碍者が”かりんとう”の製造や箱詰作業を行っていたが、大津波で壊滅した。
大津波警報で作業所職員は全員避難したが、帰宅した職員二人が波に飲まれて命を失ったのです。
運営していた理事長のAさん(72歳)は二人の職員を失った事と、自宅と二つの工場が壊滅したショックで一時は再建をあきらめていたようだ。
しかし大震災から1月程後、根っからの職人魂に火が付き、又、生き残った障碍者からの熱烈な要請に応えて、幹部職員の故郷、鳥取県伯耆町で再起を図ることになったのです。
福祉作業所は鳥取県や伯耆町からの支援とAさんや幹部職員の懸命な努力により、順調に推移し、開所から1年半ほど経過した本年4月には障碍者と健常者が協力し合う地域の”モデル工場”として位置づけられるようになったのです。
日本海テレビや鳥取県のマスコミは”福祉事業の東日本大震災からの奇跡の復活”として大々的に報道した。
理事長と古くからのお付き合いである私もマスコミ報道の真実を確認すべく伯耆町を訪ねた。
そのかりんとう工場には車いすの職員二人を含む25人の障碍者と12人の健常者の溢れるばかりの笑顔があった。障碍者雇用法が施行されても経済不況が進行する中で障碍者の就職難は慢性的であったが、かりんとう工場は障碍者の雇用に大きく貢献したのである。                         伯耆町の町長、議長が異口同音に語った言葉が印象的でした。
”東北の被災地を助けようと支援した事業だが、今は県や町が助けられている”
”女川に作業所がオープンしても、伯耆町から撤退しないでください”
女川のかりんとう工場は上棟式で餅撒きならぬ、パン屋のパン撒きで地域デビューした。
理事長のAさんは地域密着の作業所にするために、地域との交流を進める意向である。
具体的には地域の会議や集会に作業所を利用してもらい、地域のお茶のみ場としても活用してもらいたいとの考えである。
私はAさんとは40年来のお付き合いであり、4年ほど前に言われた言葉が耳に残っている。
”私は波乱万丈の人生を送ってきたが、人生の最後を福祉事業に尽くしたい”
白髪の柔和な顔に人生の艱難辛苦を知り尽くした人の真の決意を感じた。
私もできる限りのサポートをしたいと思っている。福祉事業の復興は福祉関係者だけでなく町全体の復興につながると信じながら。





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