先日、栃木県那須在住の従兄弟夫婦が久しぶりに来町するのでそれに合わせて近い親戚11人が集まって我が家で飲み会を開いた。
一般的に従兄弟というのは微妙であり、兄弟以上に親しい従兄弟もあれば他人と変わらない従兄弟もあるがこの従兄弟は私にとって間違いなく前者に属する。
この従兄弟には一昨年の大震災時には、いち早く東京から車を届けてもらったり背広やガソリン等々緊急時に必要な物資を手配してもらったりで大変お世話になった方でした。
大震災以来二度来町したが、今回は1年半振りの来町であらためて故郷女川の壊滅とその後の復旧、復興を目の当たりにしたのです。
私もお酒は嗜む程度であり、11人中酒好きは3,4人と少数派だが久しぶりの親戚の飲み会と言うことで飲むほどに酔うほどに盛り上がり4時半に始まった宴は延々12時近くまで続いた。
宴と言うのは何時に始まろうが、日付が変わる頃にならなければ人々は終わろうとしないことが再確認されたようだ。
目出度い時、悲しい時、嬉しい時、人間は節目節目にお酒が欠かせないが、久方ぶりの再会にもお酒の果たす役割は極めて有効であった。
その日集まった女川在住の親戚は大震災で全て住居が壊滅したが、ある人は自立再建しある人は再建準備中であり、ある人は未だ将来設計が決断しきれてない状況と置かれた環境は様々だが、そこは親戚のよしみと言うか宴の盛り上がりには無関係である。
大半が高齢者であり、ついさっきの事は忘れても40年、50年前の事は鮮明に覚えている。
昭和30年代40年代の少年期から青年期のことになると話題が最高に盛り上がり話はつきない。
三丁目の夕日の時代は田舎も都会も皆が貧しかったが、皆が将来に夢を持って上を向いて歩いていた時代だったことを思う。
そしてその時代は兄弟、従兄弟、親戚、地域みんなが貧しく助け合わなければ生きて行けなかった時代だったのである。一族の中でお風呂を持っていたのは本家だけであり、本家がなければ別家の生活は成り立たないのである。本家も別家の助けがなければ維持できないのである。
今回の大震災で尊い命や住居、建物そして営々と築き上げてきた地域のコミュニティーを完全に破壊されたが、反面人間同士の助け合いの素晴らしさ、故郷の暖かさ奥深さを再認識することもできたのです。
そのコミュニティーの原点にあるのがいつの時代も身内であり親戚なのかもしれない。
神様は人間に対し乗り越えられない試練は与えないものだということを信じて、前向きに行きたいと思う。
大震災により全ての物が壊され失ったが、人間の素晴らしさを信じながら前を向いて一歩一歩無理をしないで進みましょうか。




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